抽象的な哲学的問題とは?時間が無駄かもしれないけど暇だし考えてみた

科学技術が進歩した現代でも解明できていないことは沢山あり、その中には考えるだけ無駄なのではと思えるほど抽象的で哲学的な問題も存在します。そこでこの記事では、考えても答えのでない問題をあえて考察した結果を紹介しています。自ら断言しますが時間の無駄なので、読んでも徒労感しか皆さんに提供できないかもしれません。しかし、そこをあえて考えてみることで、何かを解決する手助けになればと考えています。

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正しいことについて

皆さんは正しいことについて考えたことがありますか?当たり前のことですが、本来正しいことをやっていれば何も問題はないはずですよね。ではなぜ正しい要素と間違っている要素が存在するのか考えたことはありますか?筆者は本来正しいことと間違っている要素は、1つの要素で構成されているものだと考えていて、それが今回の抽象的な哲学的問題とはというテーマにぴったりだと思っています。

その理由は例えばある事象に対して、存在しなければその事象における正しいことも間違っているものも存在しないからです。例えば機械という物が存在しなければ、機械に対して水をかけるのは間違っていて、電力を流すことが本来の目的だと断定されます。

したがって、機械に対して水をかけるという事象も本来は、機械という物を構成している1つの事象であり、間違いではないはずです。なぜなら水をかけるという非常識が生まれたのは、機械を使うために電流を流すという正しい要素が存在するからです。

共通項を考えてみた

前の見出しで機械を例に抽象的な哲学的問題とはという疑問について考えてみましたが、世界中のあらゆる事象について、正しいことの共通項を考えてみました。要するに正しい要素を構成している共通点が分かれば、これから遭遇するであろう新しい事象に対してすぐに正しいことを見つけられるのではないかと考えてみました。

その結果正しいということは、全て物理的な問題と心理的な問題に分類されるということが分かりました。例えば犯罪者が犯罪を成功させるという事象において、ピッキングやクラッキングの機械が正しく動けば犯罪が成功するという結果が生まれます。ただしこれは、犯罪は迷惑が掛かるという心理的なプロセスを無視した上での事例です。

もしピッキングやクラッキングの機械が動いたとしても、被害者は嫌な気持ちになりますし、それが正しいことだとは思わないでしょう。つまり、最初の見出しで説明した通り、正しいことと間違っていることが1つの事象として干渉しています。このことから筆者は正しいことと間違っていることは、1つの同じ事象だったという説を唱えてみました。

抽象的な哲学的問題を考えた理由

筆者は世代を問わず色々な漫画やドラマやアニメなどを拝聴していますが、ゴルゴ13ほど抽象的な哲学的問題とはという点を考えさせられた作品は無いと思っています。その理由になったのは1975年に発売されたカタストロフィーポイントというお話です。

このお話では、ある学者の理論を正しいものだと断定するために、ゴルゴ13を罠にはめて仕事を依頼することになります。失敗すれば命が危ないという状況の中で、陰の依頼主は犯罪学を用いてゴルゴ13の行動をことごとく予想していきます。行動を完璧に予測されて困ったゴルゴ13はとある方法を用いて行動を読まれないようにして、見事陰の依頼者を倒すというストーリーになっています。

その方法とは自分が予測できないことを第三者に依頼して、その環境下でターゲットを倒すという方法です。つまり、前の見出しで唱えていた正しい要素と間違っている要素に対して、3つ目の要素が干渉することで前提条件を破綻させることが可能です。これを日本ではどさくさ紛れという言葉で表現しています。

どのように破綻するのか

抽象的な哲学的問題とはという議論の事象において、破綻するにしてもどのようになったのか説明する必要があります。その理論に適切だと筆者が考えているのが、ルネ・トムによって提唱されたカタストロフィ理論です。カタストロフィ理論とは、あらゆる現象のモデルを説明するときに用いられる理論で、ランダムで連続的な事象を説明するときにも便利とされています。ではカタストロフィー理論がどのようにして便利なのか次の見出しでご覧いただきましょう。

折り目カタストロフについて

簡単に説明すると正しいことと間違っていることが、そのまま同じ力関係で動いているならその事象は自然消滅するということです。実例に交えて説明すると、犯罪者を捕まえたときに、相手が無抵抗で掴まったなら事件は解決、つまり自然消滅しますよね。

しかし、犯罪者が無抵抗なのに警察が必要以上に圧力を掛けた場合は過剰防衛となり、警察側にも問題があったという判決が出て、事件の解決にはさらに時間が掛かってしまいます。こういった関係をルネ・トムはV=X3乗+AXという数式にして表しています。この数式において負の値であるパラメータAをゆっくり上昇させていくと、最も安定している点に追従できます。しかし、パラメータAを0より大きくしてしまうと、安定する事象が無くなります。

ただし、この条件が合致するのは2つの事象が潜在的な極致であるということです。つまり犯罪者と警察くらい正反対な関係でなければこの数式は成り立たず、そもそも力関係の差が0になるならば犯罪は起こっていないか解決しているということです。

他にもある色々な理論

ここまで読んでくれている人には本当に申し訳ないくらい時間の無駄を提供している気がします。さて、そんな抽象的な哲学的問題とはというテーマですが、世の学者さん達は色々な数式でそれらを説明しようとしています。例えば皆さんご存知の義務教育で習う三平方の定理は、正式名称をピタゴラスの定理と言いますが、この定理を唱えたピタゴラスによると万物は数と数式であると断言したそうです。

まさにその通りだと思ったのは、何かをするには何かが動くので、その相関関係を数式で現すには物理学が必要になってきます。そして物を作るにはいろんな化学反応や分子構造を緻密な計算のもとで混ぜ込んでいくので、ここにも数式が使われています。つまり、例え抽象的であってもそれを詳しく分析していけば、必ずどこかに数式で現せられる要素が存在し、それを解明していくことが、人類の助けのなるのではないかと筆者も感じています。

まとめ

抽象的な哲学的問題とはという疑問は考え出すと色々な疑問が思い浮かんできますが、それを説明するには数式などにしてある程度形にする必要が出てきます。そこで今回のテーマにしたのがカタストロフィ理論で、あらゆる事象を説明するのにこれほど最適なものはありません。

また、カタストロフィ理論以外にも、ピタゴラスの定理など色々な数式を用いることで、自分が考えている疑問を説明できる可能性があるので、皆さんもこれを機に色々な数式に目を向けてみてはいかがでしょうか。

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